ほほえみの庵

天台寺門宗 祈祷道場 微笑庵(みしょうあん)教会

2026年 徳川園紅葉祭 昼の庭と、7日間だけの夜の庭

名古屋市東区の徳川園では、2026年11月14日から12月6日まで「錦を纏う 徳川園紅葉祭」が開かれます。
夜8時まで開く夜間開園は、そのうち7日間だけです。
開園日は毎日夕方から行灯が園路を照らすので、夜間開園の日以外にも夕方の楽しみがあります。
昼に見ておきたい場所と、夜に行くなら押さえたい日程をまとめました。

ライトアップされた徳川園の紅葉
徳川園のライトアップ(2011年12月撮影)。写真:full moon69(Wikimedia Commons)/CC BY 3.0。

紅葉祭2026の基本情報

項目 内容
会期 2026年11月14日(土)〜12月6日(日)
通常の開園時間 9:30〜17:30(入園は17:00まで)
夜間開園 11月20日(金)〜23日(月・祝)、11月27日(金)〜29日(日)
9:30〜20:00(入園は19:30まで)
紅葉灯りみち 期間中の開園日は毎日、16時から
会期中の休園日 11月16日(月)、24日(火)、30日(月)
入園料 一般300円、名古屋市内在住の65歳以上100円、中学生以下無料
場所 徳川園(名古屋市東区)

昼は、色づく順番と龍門の滝を見る

徳川園の始まりは、元禄8(1695)年に尾張徳川家二代藩主の光友が隠居所の大曽根屋敷へ移り住んだことにあります。
いまの庭は、池をぐるりと巡る池泉回遊式の日本庭園です。

昼に見ておきたいのは、深い山と谷に見立てた「大曽根の滝」と、そこから流れ落ちる水がたどる「渓流 虎の尾」です。
庭の中心には、海に見立てた「龍仙湖」があります。
紅葉は11月中旬から約1か月かけて、この「海」の側から「山」の側へ移っていくそうです。
会期の前半なら龍仙湖のまわり、後半なら滝や渓流の側へ、と見当をつけて歩くと、色づきの進み具合が分かります。

紅葉に囲まれた徳川園の龍仙湖
昼の龍仙湖(2021年12月撮影)。写真:ウィキ太郎(Wikimedia Commons)。

もう一つ、昼のうちに見ておくと面白いのが「龍門の滝」です。
20分ごとに水量が増して、足元の飛び石が沈み始める仕掛けになっています。
少し待つつもりで近くに立っていると、変わる瞬間に立ち会えます。

夜は、水面に映る紅葉を見に行く

私が秋の庭で足を止めてしまうのは、ライトアップされた紅葉です。
徳川園の夜間開園では、照らされた紅葉が池の水面に映り込む「水鏡」が見どころになっています。
夜間開園の日は、行灯の灯りみちと照らされた紅葉の中を、夜8時まで歩くことになります。

夜間開園は7日間だけで、二つの週末に分かれています。
11月20日から23日は勤労感謝の日を含む4日間、27日から29日は金曜から日曜の3日間です。
夜の入園は19時30分までなので、仕事帰りに寄るなら時間に気をつけてください。

夜間開園の日以外も、夕方は行灯の道になる

紅葉祭の期間中は、開園日なら毎日16時から「紅葉灯りみち」があります。
和紙や陶器、竹でできた行灯が園路を照らします。

通常の日の入園は17時までですが、16時過ぎに入れば、日が傾いていく庭と行灯の明かりの両方を見られます。
夜間開園の日に都合がつかない方は、閉園前の夕方を狙うのも一つの選び方です。

アクセス

  • 名古屋駅バスターミナル10番のりばから基幹2系統(猪高車庫方面)で「徳川園新出来」下車、徒歩約3分(乗車約30分)
  • JR中央線「大曽根駅」南口から徒歩約10分
  • 地下鉄名城線「大曽根駅」E5番出口から徒歩約15分
  • なごや観光ルートバス「メーグル」も運行しています

徳川園と並んで「名古屋二大庭園」とされる白鳥庭園でも、この時期に紅葉の催しがあります。
水の流れを追う庭の歩き方は、こちらの記事に書きました。
紅葉の見頃を外しても 白鳥庭園の水の物語を歩く

公式情報:徳川園/Aichi Now 錦を纏う 徳川園紅葉祭

※開催日時など、最新情報は主催者の公式案内にてご確認ください。

護摩の炎は何を燃やしているのか はじめて参列する人へ

護摩の法要をはじめて見ると、まず炎の大きさに驚くかもしれません。
お坊さんがお経を唱えながら火を焚き、木を次々とくべていく。
いったい何をしているのか、なぜわざわざ火を使うのか。

三井寺唐院の長日護摩堂
三井寺(園城寺)唐院の長日護摩堂。画像:Wikimedia Commons/Public Domain。

火を使う祈りの修法

護摩という言葉は、古代インドの言葉「ホーマ」の音を漢字で写したもので、「焚く」「焼く」といった意味があります。
もとはインドで火の神に供物を捧げた儀礼にさかのぼり、それが仏教に取り入れられて、密教の祈りの修法になりました。
日本では、天台宗や真言宗などの密教や、修験道で行われています。

主に不動明王などのご本尊の前に、火炉(かろ)のある壇を設けます。
そこへ木や穀物などの供物を投じて、仏さまを供養します。
多くはお堂の中で行いますが、屋外で行うこともあります。

炎は仏さまの智慧

護摩の炎は、仏さまの智慧を表しています。
くべられる木は、煩悩のたとえです。
むさぼり、怒り、愚かさといった心の濁りを智慧の火で焼き、願いが清らかなかたちで叶うように祈ります。

実際に火を焚く護摩を「外護摩(げごま)」、心の中で智慧の火を燃やして煩悩を焼くものを「内護摩(ないごま)」と呼びます。
密教では、この二つは切り離せないものとされています。

私自身は、炎の前では何かを考えているというより、ただ無心でいます。

護摩木に書く願い

参拝する方が護摩木に願いごとと名前を書き、一緒に火にくべてもらうこともあります。
これを「添護摩(そえごま)」といいます。

ただ、護摩木を納めれば必ず叶う、というものではありません。
自分が何を願ったのか、炎の前でもう一度確かめる時間にもなります。

はじめて参列するときに

護摩を行う日や形は、お寺によってさまざまなので、参列したいときはそのお寺の行事案内を見ておきましょう。
屋外で丸太を組み、ヒノキの葉で覆って火を焚く「採燈護摩(さいとうごま)」という形もあります。

山伏姿の行者たちが見守る中、白い煙を上げて燃える柴燈護摩
柴燈護摩の様子

火を扱う修法なので、炎や火の粉が届く場所には近づかず、案内に従って決められた場所から見守ってください。

護摩は、修験道でも大切にされてきた修法です。
微笑庵が属する天台寺門宗も、修験道と深く結びついてきた宗派です。
宗派の成り立ちは、天台寺門宗とは|智証大師円珍と総本山・三井寺で紹介しています。

私が護摩を焚く場所

当庵には護摩壇がありません。
護摩は、同門の豊鶴院(ほうかくいん)(名古屋市西区)か、金翅鳥院(こんじちょういん)の奥の院で焚かせて頂いています。

護摩壇で大きく燃え上がる炎と、供えられたみかんや花
護摩に参列される方には、願いを込めながら、一緒に真言(しんごん)を唱えていただきたいと思っています。
真言は、はじめに導師(どうし)が唱えますので、そのあとに続いていただければ大丈夫です。

「護摩木には何を書けばいいの?」といった素朴な疑問も大歓迎です。
お問い合わせから気軽にお寄せください。
ブログでお答えしていきます。

合掌

お経では何を唱えているの? 意味が分からなくても聞いていい

法事やお葬式で、お坊さんがお経を唱えているあいだ。
じっと座ってはいるけれど、何を言っているのかはほとんど分からない。
そんな時間を過ごしたことのある方は、少なくないと思います。
「分からないまま聞いていて、失礼じゃないかな」と気がとがめる方もいるかもしれません。

先にお伝えしておくと、意味が追えないまま静かに座っていても、失礼にはなりません。

金銀の装飾がある紙に書かれた法華経の断簡
法華経 第19章の断簡(平安時代・12世紀後半、伝 九条兼実筆)、メトロポリタン美術館蔵。画像:The Metropolitan Museum of Art/Public Domain。

仏さまの教えを記したもの

お経(経典)は、仏さまの教えを書き記したものです。
インドで生まれた教えは中国で漢文に訳され、日本にはその漢訳のお経が伝わりました。

日本では多くのお経を、日本語に訳さず、昔から伝わる音読みのまま唱えています。
耳で聞いて意味がつかみにくいのは、そのためです。
お経の数はとても多く、宗派やお寺、法要の種類によって読むお経も変わります。

当庵でふだん唱えているお経

参考までに、当庵でふだん唱えているお経をご紹介します。

  • 地蔵菩薩供養法(じぞうぼさつくようほう)
  • 大般若経 般若理趣分(はんにゃりしゅぶん)
  • 天台宗寺門勤行要集(てんだいしゅうじもんごんぎょうようしゅう)

当庵のご本尊は地蔵菩薩です。
地蔵菩薩供養法は、そのお地蔵さまに供養をささげるお勤めです。
般若理趣分は、とても長い大般若経(だいはんにゃきょう、全600巻)の中の一巻にあたります。
勤行要集は、当庵のお勤めで使っている経本(きょうほん)です。

ほかのお寺では、また違うお経をあげていると思います。

意味が分かってきたのは、知りたいと思ったとき

私自身、お経の言葉が少しずつ分かってきたのは、自分が唱えている言葉の意味を知りたい、と思ったときからでした。

法要が終わったあとで、「今日のお経は何というお経ですか」と、お坊さんに尋ねてみてください。
お経の名前が分かれば、現代語訳や解説の本で、あとからゆっくり意味を調べることができます。

経本があれば、文字を目で追いながら聞くと、耳だけでは分からなかった言葉の切れ目が見えてきます。

お経のあいだは、それぞれの思いで

お経を聞いているあいだ、どんな気持ちでいればいいか。
私は、それぞれの思いで良いと思っています。

当庵(天台寺門宗)と同じく天台の教えを受け継ぐ天台宗も、公式Q&Aで、法要でお経を聞くことにも意義がある、と説明しています。
お経を読むのは本来お坊さんの修行ですが、お経の功徳(くどく)が、亡くなった方にもまわりの人にも行きわたるよう願う気持ちが大切だとされています。
言葉を一つひとつ追えなくても、手を合わせて静かに座っていれば、それでお参りになっています。

ただ、当庵は祈祷が中心のお寺です。
ご祈祷のときは、聞いているだけでなく、一緒にお経や真言(しんごん)を唱えていただけるとうれしいです。

お経は経本をお貸ししますので、見ながらご一緒ください。
真言は、はじめに導師が唱えますので、そのあとに続けて唱えていただければ大丈夫です。

耳に残る「南無」と「如是我聞」

お経やお唱えごとでよく耳にするのが「南無(なむ)」です。
「南無阿弥陀仏」「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」のように、仏さまや菩薩の名前の前に付けて唱えます。

南無は、古代インドの言葉「ナマス」の音を漢字で写したもので、もとは「敬って礼をする」という意味です。
仏さまや菩薩に心から帰依(きえ)する、身をゆだねる、という気持ちを表します。
「南無◯◯」と聞こえてきたら、「◯◯に帰依します」と言っているのだと思えば、少しずつ意味が追えるようになります。

もうひとつ、多くのお経は「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉で始まります。
意味は「このように私は聞いた」。
お経そのものが、聞いた教えを伝える形で書かれているわけです。

「このお経はどういう意味?」という素朴な疑問も大歓迎です。
お問い合わせから気軽にお寄せください。
ブログでお答えしていきます。

合掌

庄内川・堀川・中川運河 名古屋の三つの川をつなぐ水の道

前の記事では、名古屋の蛇口の水が木曽川から届いていることを書きました。
今回は、名古屋の街なかを流れる川の話です。
庄内川、堀川、中川運河。
私にとってもなじみのある三つの川は、実は水の道でつながっています。

堀川に架かる納屋橋
堀川に架かる納屋橋(2022年9月撮影)。写真:みちゃとん(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0。

庄内川と、水を逃がす新川

庄内川は、岐阜県恵那市の夕立山を源とする川です。
岐阜県内では土岐川と呼ばれ、愛知県に入って庄内川となり、名古屋市の北西部を流れて名古屋港へ出ます。
長さは96km、流域の面積は1,010km²あります。

庄内川の北には、江戸時代の天明の治水(1784〜1787年)で掘られた新川が並んで流れています。
庄内川の水位が上がったとき、新川洗堰から水を新川へ逃がす仕組みで、今も洪水のときの放水路の役目を持っています。

庄内川と新川の間の中洲
庄内新川橋から見た庄内川(手前)と新川(奥)の間の中洲(2020年5月撮影)。写真:KKPCW(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0。

河口に広がる藤前干潟は、2002年にラムサール条約の湿地に登録されました。
シギやチドリの仲間が、東アジアとオーストラリアを行き来する途中に立ち寄る、大切な中継地です。

堀川は、名古屋城とともに

堀川は、1610年(慶長15年)、名古屋城を築くのと同じ時期に、福島正則が工事の責任者となって掘り始めた川です。
名古屋城の西の幅下から熱田までを結び、米や野菜、魚、塩などを城下へ運ぶ水の道でした。

今の堀川は、守山区で庄内川から分かれ、名古屋城の西と納屋橋のあたりを通って、名古屋港へ注いでいます。
長さは16.2kmです。
ただ、開削された頃の堀川は、幅下が川の始まりでした。
今のように庄内川から分かれて流れ込む上流部は、明治10年に完成した黒川です。

堀川に架かる納屋橋は、今の橋が昭和56年に架け替えられたもので、欄干には大正2年の橋のものが使われています。
欄干の中央には、堀川を掘った福島正則の家紋があしらわれています。

堀川の下流は、熱田の七里の渡しのあたりで新堀川と合わさり、名古屋港へ出ます。
その近くには、かつて木材を水に浮かべて蓄えておく白鳥貯木場がありました。
木曽の山で切り出された材木は、木曽川を筏で下り、熱田の白鳥に集められていたのです。
伊勢湾台風(1959年)のあと、木材を扱う港は市の外へ移り、貯木場の跡地の一部が、今の白鳥庭園になっています。

中川運河と「水上の貴婦人」

中川運河は、大正15年に工事が始まり、昭和7年に全線が開通した運河です。
名古屋駅に近いささしま地区から名古屋港の中川口まで、幹線・支線・横堀を合わせると延長は約10.3kmあります。
開通した当時は「東洋一の大運河」と呼ばれ、船で荷物を運ぶ物流の幹線として、昭和39年ごろに最も多く使われました。

中川区を流れる中川運河
中川区の中川運河(2024年8月撮影)。写真:円周率3パーセント(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0。

中川運河と堀川を結んでいたのが、中川区の松重閘門です。
水位の違う二つの水路の間で、門を開け閉めして船を通す、パナマ運河と同じ仕組みの閘門です。
4本の塔が並ぶ姿から「水上の貴婦人」と呼ばれています。
船が通らなくなった後も保存され、昭和61年に名古屋市の有形文化財に指定されました。

松重閘門の塔
松重閘門(2017年11月撮影)。写真:Alpsdake(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0。

閘門は使われなくなりましたが、二つの水路は今も水でつながっています。
中川運河の水は、松重ポンプ所から堀川へも送られていて、2024年4月からはその量が増やされました。
水を巡らせて、運河の水をきれいにするためです。

きれいになっていく堀川と中川運河

ここ数年、堀川も中川運河も、川そのものがきれいになり、川の周りの開発も進んでいると感じます。
調べてみると、長い時間をかけた取り組みが重なっていました。

堀川の水は、かつてひどく汚れていました。
最も汚れていたのは1966年ごろで、水の汚れの目安になるBODは1リットルあたり54.8mgに達していました。
1994年度からは川底にたまったヘドロの除去が始まり、2001年からは庄内川の水を堀川へ流し入れています。

大雨のときに、下水があふれて川へ流れ出るのを減らす工事も進みました。
堀川の右岸と左岸に、雨水をいったんためておく大きな施設がつくられ、2010年度と2019年度に動き始めています。
近年の堀川は、BODなどの環境基準を満たすようになりました。
それでも、さらにきれいにする工夫は今も続いています。

2026年7月からは、木曽川の水を堀川へ流すことも始まりました。
犬山で取った木曽川の水を、鍋屋上野浄水場を通して堀川の上流へ送るもので、2029年6月までの試みです。
前の記事で書いた水道の水と同じ道を、途中までたどっていることになります。

ライトアップされた夜の堀川と納屋橋の遊歩道
納屋橋から見た夜の堀川と遊歩道(2022年9月撮影)。写真:KainMackenzie(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0。

川辺の景色も変わってきました。
納屋橋のあたりでは、2020年度から2022年度にかけて、護岸と遊歩道を照らす明かりが整えられました。
大正時代のガス灯をイメージした琥珀色の光が、夜の川辺を照らしています。
2026年の秋には、名古屋城の前から納屋橋などへ向かう「なごや堀川クルーズ」も運航されています。

中川運河では、名古屋市と名古屋港管理組合が2012年に「中川運河再生計画」をつくり、2023年に新しくしました。
運河に処理水を流している露橋水処理センターは建て替えられ、2017年から、汚れをより多く取り除いた水を流しています。

運河のささしま側の端、「堀止(ほりどめ)」と呼ばれるあたりには、2026年6月、ホテルや飲食店、スポーツのコートが入る「NAKAGAWA CANAL DOORS」が開業しました。
運河沿いでは、古い倉庫をカフェやギャラリーに変える計画も進んでいて、2027年8月に開放される予定です。
2017年からは、ささしまから運河を通って名古屋港の金城ふ頭などへ向かう船「クルーズ名古屋」も出ています。

恵みと、あふれる怖さ

城下の米や塩も、木曽の材木も、昭和の荷物も、名古屋では川を通って運ばれてきました。
一方で、川は時にあふれます。

2000年9月の東海豪雨では、名古屋の総雨量が567mmに達し、庄内川は長い区間で計画高水位を超えました。
新川は、洗堰から流れ込んだ水で水位がさらに上がり、西区で堤防が切れて、まわりが水につかりました。
堀川の景雲橋から小塩橋の間では、大雨に備えて護岸を高くする工事も進められてきました。

地面の下でも、大雨への備えが進んでいます。
西区天神山町から中川区山王一丁目までの地下約50mには、約10万4,000m³の雨水をためられる「名古屋中央雨水調整池」がつくられています。
ためた雨水は、広川ポンプ所から中川運河へ流す仕組みで、ポンプ所はすでに完成しています。
2025年9月の時点では、調整池とポンプ所をつなぐ工事が進められていました。

普段は穏やかに流れている川も、雨の降り方ひとつで姿を変えます。
水のありがたさを思うとき、あふれた日のことも一緒に思い出すようにしています。

お住まいの地域の浸水のおそれは、名古屋市のハザードマップで確かめられます。

※開催日時など、最新情報は主催者の公式案内にてご確認ください。

名古屋の蛇口の水はどこから? 木曽川から届く水のありがたさ

名古屋市熱田区の白鳥庭園の記事で、庭の流れが木曽川に、池が伊勢湾に見立てられていることを紹介しました。
その木曽川は、名古屋に住む人にとって、庭の中だけの川ではありません。
毎日蛇口をひねって出てくる水も、木曽川から届いています。

木曽川に架かる犬山頭首工とライン大橋
犬山市と各務原市の間を流れる木曽川の犬山頭首工とライン大橋(2022年1月撮影)。写真:先従隗始(Wikimedia Commons)/CC0。

名古屋の水は、木曽川から

名古屋市の水道は、3つの浄水場すべてで木曽川の水を使っています。
川の水をくみ上げる取水場は、犬山市の犬山取水場と、そこから約30km下流、一宮市の朝日取水場の2か所です。
犬山で取った水は春日井浄水場と鍋屋上野浄水場へ、朝日で取った水は大治浄水場へ送られます。

どちらの取水場も名古屋市の外にあります。
蛇口の水は、市の外を流れる川から来ているわけです。
この水は名古屋市内だけでなく、大治町など市外の一部にも届いていて、給水人口は約246万人です(2024年度)。

3つの浄水場

川の水は浄水場できれいにされてから、家庭に届きます。

浄水場 場所・始まり・1日の給水能力
鍋屋上野浄水場 名古屋市千種区。1914年(大正3年)9月に通水した、市内で最初の浄水場。29万m³
大治浄水場 海部郡大治町。1946年(昭和21年)3月に給水開始。54.4万m³
春日井浄水場 春日井市。1969年(昭和44年)4月に通水。59万m³(3つのうち最大)

名古屋の水道は、鍋屋上野浄水場とともに1914年に給水を始め、2014年に100周年を迎えました。
鍋屋上野浄水場の旧第一ポンプ所は、1985年に「近代水道百選」に選ばれ、2012年に名古屋市の指定有形文化財になっています。

川の水が、飲める水になるまで

浄水場に着いた川の水は、まず「着水井」という池に入り、水の量や水位が整えられます。
次の沈でん池では、薬品を加えて水の中の細かいにごりを「フロック」というかたまりにし、底に沈めます。
そのあと塩素剤を入れて消毒し、砂の層を通す「ろ過池」で、沈でん池で取りきれなかった細かいにごりをこし取ります。

きれいになった水は浄水場の配水池にためられ、ポンプで市内の配水場へ送られます。
配水場から先は、地下の水道管を通って各家庭の蛇口まで届きます。
名古屋市の水道管をすべてつなぐと約8,400kmあり、これは名古屋からサンフランシスコまでの距離に当たるそうです。

ここまでの流れは、薬品で沈めてから砂の層で手早くこす「急速ろ過」という方式で、大治と春日井の浄水場はこの方式です。
鍋屋上野浄水場には急速ろ過に加えて、時間をかけて砂の層でゆっくりこす「緩速ろ過」の設備もあり、1日14万m³ほどをこの方式でつくっています。

毎日続く水質の見張り

水は、浄水場を出たあとも見張られています。
給水区域の25か所に水質の連続監視装置があり、色、にごり、消毒の効き目が残っているかの3項目を、24時間休まず測っています。

国の水質基準の52項目は、配水の系統ごとに選んだ20か所の蛇口で検査しています。
水源の木曽川でも、流域の12地点で水を調べています。
検査はほとんどを上下水道局が自分で行っていて、2006年には検査の信頼性を証明する「水道GLP」の認定を受けています。

あっさり、まろやかな軟水

名古屋市上下水道局によると、木曽川の水は水量が多く水質もよい、硬度の低い軟水です。
主な大都市の水道水の中でも硬度が特に低く、「あっさりとしてまろやかな味」と紹介されています。

名古屋市は1979年、全国に先がけて「うまい水研究会」をつくりました。
2024年度のアンケートでは、回答した人の約8割が名古屋の水道水を「おいしい」と答えています。

遠くのダムも水を支えている

始まった頃の名古屋の水道は、木曽川の自然な流れだけで水をまかなっていました。
今は、木曽川水系の岩屋ダム(岐阜県下呂市)や味噌川ダム(長野県木祖村)なども水源を支えています。

味噌川ダムのダム湖
長野県木祖村の味噌川ダム(2022年9月撮影)。写真:経済特区(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 4.0。

ひどい渇水や水質の急な変化に備えて、木曽川だけに頼らず、長良川や揖斐川にも水源が確保されています。
揖斐川側の水源は、徳山ダム(岐阜県揖斐川町)です。

断水のない、なごやの水道

名古屋市上下水道局は、給水を始めてからの歩みを「断水のないなごやの水道」と表しています。
ただ、それは一度も危ない時がなかったという意味ではありません。

1994年(平成6年)の夏、木曽川水系はひどい渇水に見舞われました。
川から取る水の制限は6月1日から11月14日まで166日間続き、8月上旬には岩屋ダムなど3つのダムで、水道や工業・農業に使うためにためていた水が底をつきました。

名古屋市は、節水の呼びかけを強め、たくさん水を使う事業所などへの供給を絞り、水道管の水圧を下げて、時間を区切って水を止める「時間断水」をせずに乗り切りました。
それでも、市内の約75,000戸で水の出が悪くなりました。

地震に強い水道管へ

断水を防ぐもう一つの備えが、地震に強い水道管への取り替えです。
厚生労働省のまとめでは、水道の骨組みにあたる「基幹管路」のうち、地震に耐えられる管の割合は、名古屋市が79.9%、全国平均が42.3%です(2022年度末)。

家の近くまで水を配る配水管も、南海トラフ地震に備えた耐震化が66%まで進んでいます(2024年度末)。
毎年およそ100km分の管が、地震に強い管に替えられています。
浄水施設の耐震化率は、2022年度で99.4%です。

もしもの時の水

大きな地震で水道が止まった時のために、市内には水を受け取れる場所が用意されています。

種類 内容
応急給水センター 港区、中川区、千種区(平和公園配水場内)、西区の4か所
地下式給水栓 給水区域内のすべての公立小中学校。地域の人が自分で操作して水を出せる
仮設の給水栓 広域避難場所などに、上下水道局の職員や協定を結んだ事業者が設置する

近くの給水場所は、上下水道局の「災害時に役立つ施設の検索」で、地図や住所から探せます。

家での備えとして、上下水道局は水を1人1日3リットル、3日分で9リットル以上たくわえておくよう勧めています。

名古屋市水の歴史資料館

名古屋の上下水道の歴史や役割は、千種区の「名古屋市水の歴史資料館」で学べます。
地震への備えを紹介する展示もあり、入館は無料です。

名古屋市水の歴史資料館の外観
名古屋市水の歴史資料館(2025年5月撮影)。写真:Hyppolyte de Saint-Rambert(Wikimedia Commons)/CC BY 4.0。
項目 内容
開館時間 9時30分〜16時30分
休館日 月曜日(休日の場合は直後の平日)、12月29日〜1月3日
入館料 無料
所在地 名古屋市千種区月ケ丘1-1-44
交通 市バス「月ケ丘」から徒歩約2分、地下鉄東山線「覚王山」駅から徒歩約17分
駐車場 無料(18台)

詳しくは名古屋市水の歴史資料館の公式案内をご覧ください。
名古屋の街なかを流れる庄内川や堀川、中川運河のことは、次の記事で書くつもりです。

水のありがたさ

私は、ありがたいことに、断水を経験した記憶がありません。
蛇口をひねれば水が出ることを、当たり前のこととして暮らしてきました。

けれど、こうして調べてみると、その当たり前は、ひとりでにそこにあったものではありませんでした。
長野や岐阜の山に降った雨があり、それをためるダムがあり、毎日水を見張る人や、水道管を地震に強いものへ替え続けてきた人たちがいます。
1994年の夏も、そうした人たちの工夫と、みんなの節水で、水が止まらずにすみました。

積み重ねの先に、私の当たり前があります。
その当たり前に、感謝しています。
ほんと、ありがたいことだがね。

※開催日時など、最新情報は主催者の公式案内にてご確認ください。

紅葉の見頃を外しても 白鳥庭園の水の物語を歩く

紅葉の見頃に合わせて出かける日を決めても、当日の色づきは行ってみないと分かりません。
名古屋市熱田区の白鳥庭園は、見頃を外しても歩く楽しみが残る庭です。
庭全体が、山に降った雨が川になり、やがて海へ注ぐまでの「水の物語」として作られているからです。

白鳥庭園の岩の間を流れる水
白鳥庭園の流れ(2012年10月撮影)。写真:Nagono(Wikimedia Commons)/CC BY-SA 3.0。

山から海までを一周で歩く庭

白鳥庭園は1991年に開園した池泉回遊式の日本庭園で、広さは約3.7ヘクタールあります。
池のまわりを巡りながら景色を眺める造りで、テーマは「水の物語」です。

庭は中部地方の地形をモチーフにしていて、築山を御嶽山に、そこから流れ出る川を木曽川に、流れが注ぐ池を伊勢湾に見立てています。
上流から下流へ、場所ごとに水の表情が変わるように組まれています。

滝の景と渓谷の景

公式の園内マップは、庭の見どころを「白鳥八景」として紹介しています。
上流にあたるのが「滝の景」です。
御嶽山に降った雨の一部が伏流水となって地中に蓄えられ、細い滝となって流れ出る場所として作られています。

その先の「渓谷の景」では、深い谷に入った流れが急流になります。
渓谷の両岸は楓に覆われ、秋には紅く色づく場所でもあります。

水郷から池へ

「水郷の景」は、木曽川が長良川・揖斐川と合流する様子を表した場所です。
その先が、伊勢湾に見立てた池です。
池の「海洋の景」では、水面に浮かぶ中島を二つの橋が結んでいます。

八景にはこのほか、汐の満ち干きで景色が移り変わる「汐入の景」や、東海道の宿場町をモチーフに常夜灯や七里の渡しを取り入れた「宮の渡しの景」があります。
人里を表した「里の景」と、茶室清羽亭の露地を表した「清羽亭の景」を合わせて、八つの景になります。
物語として追うなら、公式の園内マップで滝の景の場所を先に確かめておくと、上流から池へと見立てをたどりやすくなります。

急ぐ水も、待つ水も

滝の景の水は、御嶽山に降った雨がいったん地中にたくわえられ、それから細い滝になって出てくる、という見立てでした。
その水が渓谷で一気に勢いを増し、水郷でゆっくりと流れて、最後は伊勢湾に見立てた池にたどり着きます。
同じ水でも、通る場所によって姿がずいぶん違います。

人の毎日にも、慌ただしく過ぎていく日があれば、地中の水のように何も進まないと感じる日もあります。
外から見えないだけで、その間も水は次に出ていく時を待っています。
足が止まっているように見える日も、流れの途中なのだと私は思っています。

2026年の観楓会

色づきに当たるかは年しだいですが、今年の観楓会は11月14日(土)から始まります。
催しごとに日程が分かれていて、夜間ライトアップは次の7日間です。

項目 内容
ライトアップの日 11月14日(土)・15日(日)・21日(土)〜23日(月・祝)・28日(土)・29日(日)
時間 16時頃から点灯、20時まで開園(入園は19時30分まで)
料金 通常の入園料(予約不要)

11月15日(日)は入園無料の日です。
ライトアップなどで17時以降に入園する場合、中学生以下は保護者の同伴が必要です。
11月20日(金)と27日(金)の夜には、予約制の特別鑑賞(各日300名限定、特別拝観料800円)もあります。
中学生以下は無料ですが、同伴する保護者の予約が必要です。

土日祝日とライトアップの時間帯は、駐車場がたいへん混み合います。
待っているうちに入園時間を過ぎることもあるため、公式サイトは公共交通機関での来園を勧めています。
催しの詳細や変更は、白鳥庭園公式の観楓会案内に載っています。

出かける前に

項目 内容
開園時間 9時〜17時(入園は16時30分まで)
休園日 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日〜1月3日
入園料 大人300円、中学生以下無料、名古屋市内在住の65歳以上100円(敬老手帳等の提示が必要)
電車 地下鉄名城線「熱田神宮西」駅4番出口から徒歩約10分
駐車場 普通車1回500円
所在地 名古屋市熱田区熱田西町2-5

駅名は2023年に「神宮西」から「熱田神宮西」に変わりました。
隣の「熱田神宮伝馬町」駅と間違えやすいので、乗り降りの際は気をつけてください。

写真は、個人で観光する範囲なら申請なしで撮れます。
ただし、レフ板などの補助機材や、植え込み・流れ・池の中に入っての撮影はできません。
詳しくは白鳥庭園の利用案内と撮影についての案内をご覧ください。

※開催日時など、最新情報は主催者の公式案内にてご確認ください。

仏像の名前を覚える前に お顔と手と持ち物を見てみよう

お寺や博物館で仏像の前に立ったとき。
説明板の名前を読んでも、似たような名前が多くて、どれがどれだか覚えきれない。
如来、菩薩、明王、天と、名前を暗記しようとするだけで疲れてしまいますよね。

私は仏像の前に立つと、まずお顔に目が行きます。
名前はいったん脇に置いて、お顔、それから手の形と持ち物、身なりに目を向けてみてください。
名前を知らなくても、どんな仏さまなのか、少しずつ当たりがつけられるようになります。

右手に剣、左手に縄を持つ不動明王坐像
快慶作《不動明王坐像》(鎌倉時代・13世紀前半)、メトロポリタン美術館蔵。右手に剣、左手に縄を持つ。画像:The Metropolitan Museum of Art/Public Domain。

四つのグループを先に知っておく

仏像は大きく、如来・菩薩・明王・天の四つのグループに分けられます。
京都国立博物館の解説をもとに整理し、当庵でお祀りしている仏さまを当てはめると、次のようになります。

グループ 姿の傾向 当庵でお祀りしている仏さま
如来 さとりを開いた存在、装身具をほとんど着けず質素な衣 薬師如来
菩薩 さとりを目指して修行中、耳飾りや胸飾りなどの装身具が多い 地蔵菩薩(ご本尊)、准胝菩薩
明王 密教に特有、怒った顔が多く顔や腕が多いものもある 不動明王
天 インドなどの神々が仏教に取り入れられた守護神 大黒天、弁財天、吉祥天など
甲冑を着けて立つ毘沙門天像
毘沙門天立像(平安時代・12世紀)、メトロポリタン美術館蔵。天のグループの一例。画像:The Metropolitan Museum of Art/Public Domain。

まずはお顔と、顔や腕の数

お顔を見ると、穏やかなお顔、怒ったお顔、いくつもお顔を持つ仏さまと、いろいろあることに気づきます。
当庵でお祀りしている仏さまの中にも、一般にはお顔や腕がいくつもある姿で表される方がいらっしゃいます。

准胝菩薩(准胝観音)は、目が三つ、腕が十八本の姿で表されることが多い仏さまです。
三宝荒神は、お顔が三つ、腕が六本で、怒りの姿で表されることが多く、仏・法・僧の三宝を守る神とされています。
三面大黒天は、正面が大黒天、右に毘沙門天、左に弁財天のお顔を持つ大黒さまです。

怖い顔は悪者の顔ではない

明王の多くは、怒りの表情をしています。
はじめて見ると、少し怖く感じるかもしれません。

明王が怒った顔をしているのは、やさしい心だけでは救えない人々を導くためだとされています。
怖いお顔は悪者の顔ではなく、本気で救おうとしている顔です。
お寺で怖いお顔の仏さまに手を合わせるときも、叱られているのではなく、背中を押してもらっていると思っていただければ大丈夫です。

手の形を見る

如来像には、右手を上げ、左手を下げて、どちらも手のひらをこちらへ向けた姿がよく見られます。
右手は恐れを取り除く「施無畏印(せむいいん)」、左手は願いをかなえる「与願印(よがんいん)」と呼ばれる手の形です。
この組み合わせは特定の仏さまだけの目印ではなく、如来像に広く見られる形です。

座った像では、お腹の前で両手を重ねた「定印(じょういん)」もあります。
瞑想の姿を表す手の形で、阿弥陀如来や、胎蔵界と呼ばれる系統の大日如来の坐像に見られます。
同じ定印でも、指の組み方はそれぞれ違います。

持ち物は大きな手がかり

持ち物は、仏さまを見分ける大きな手がかりになります。

薬師如来は、左手に薬の壺を持つ姿がよく知られています。
ただ、平塚市博物館の解説によると、古い時代の薬師如来は壺を持たず、施無畏印と与願印の形だったそうです。
壺を持つ姿が多くなるのは、平安時代以降のことです。

不動明王の多くは、右手に剣、左手に縄(羂索〔けんさく〕)を持っています。
剣は敵を倒す武器ではなく、煩悩を断ち切るためのもの。
縄は、人々をすくい上げて救うことを表しています。

天のグループは、持ち物がさらに多彩です。
大黒天は、頭巾をかぶって大きな袋を背負い、打ち出の小槌を持って米俵の上に立つ姿でおなじみです。
弁財天は琵琶を抱えた二本腕の姿がよく知られていますが、八臂弁財天は八本の腕に弓や矢、刀、輪、縄などを持っています。

ただし、同じ持ち物を複数の仏さまが持つこともあります。
持ち物だけで名前を決めつけず、最後は説明板で確かめるくらいがちょうどいいです。

身なりの例外がおもしろい

如来は質素な衣、菩薩は華やかな装身具、というのが基本の見分け方です。
けれど、ここにはおもしろい例外があります。

大日如来は如来でありながら、菩薩のように装身具を着けた華やかな姿で表されます。
反対に、地蔵菩薩は菩薩でありながら、お坊さんの姿をしています。
当庵のご本尊も、地蔵菩薩です。

冠を着けて坐る大日如来像
大日如来坐像(平安時代・12世紀)、メトロポリタン美術館蔵。如来でありながら冠や装身具を着けている。画像:The Metropolitan Museum of Art/Public Domain。

お地蔵さまの姿については、お地蔵さまはどんな仏さま? 姿と役割から知る身近な仏教でくわしく紹介しています。

興味を持って手を合わせる

名前や見分け方を全部覚えなくても、手を合わせることはできます。
「この仏さまはどんな仏様なのだろう」「どんなご利益があるのだろう」と興味を持って手を合わせたほうが、仏さんも喜んでくださると思っています。

「こんなこと、聞いてもいいのかな」という素朴な疑問も大歓迎です。
お問い合わせから気軽にお寄せください。
ブログでお答えしていきます。

合掌